4年に一度しか開催されない、卓球選手にとって夢の舞台であるオリンピック。早田ひな選手は東京オリンピック後に、パリオリンピックのシングルスに出場することを目指して努力を重ねてきました。過密日程の選考レースを、途中怪我による休養を挟みながらもぶっちぎりの1位で勝ち抜き、混合ダブルス、シングルス、団体戦の3種目の出場権を獲得しました。
混合ダブルスは北朝鮮ペアに負けてしまいメダルは獲得できませんでした。シングルスは準々決勝で利き腕を怪我してしまい、卓球ができない状態に追い込まれましたが奇跡的に3位決定戦で勝利して銅メダルを獲得しました。団体戦は決勝で強すぎる中国に負けてしまい準優勝、銀メダルでした。
目標にしていた金メダルには届きませんでしたが、「私にとって金メダルよりも価値のある銅メダル」との言葉が印象的でした。
パリオリンピックは最高の笑顔が見れた素晴らしい大会になりました。僕は銅メダルを獲得した3位決定戦を生涯忘れません。
この記事は早田ひな選手がパリオリンピックを目指して歩んだ3年間の記録です。
*アイキャッチ画像はこちらの記事からの引用です。
パリオリンピック代表選手選考レース
パリオリンピックのシングルス代表選手は、国内選考会を主とした対象の大会で付与された選考ポイントの合計上位2名が選出されます。その選考レースの結果です。
早田ひな選手と平野美宇選手がシングルスの出場権を獲得しました。3人目の団体戦要員には張本美和選手が選出されました。
また混合ダブルスペアには「はりひなペア」が選出されました。
約2年に及んだ選考レース期間中に、早田ひな選手は飛躍的な成長を遂げましたが、その道程は決して平らなものではありませんでした。怪我による戦線離脱や予期せぬ体調不良を乗り越え、選考レース期間を戦い抜きました。
パリオリンピック本番に向けて
パリオリンピックの切符を手にしてからは、より良いシード確保のための厳しい戦いが続きました。
シングルス
パリオリンピックのシングルスでは、準決勝まで中国人選手に当たらないようにしたいです。ドローの仕組みから、第3、第4シードならそれを確実にできます。そして第2シードを確保できたら、世界最強である孫穎莎選手と決勝まで当たらないようにできます。
早田ひな選手は第2シードには手が届かなかったものの、後続に大きな差を付けて第3シードを確保しました。
混合ダブルス
はりひなペアがパリオリンピックで優勝を目指す上で絶対に達成したいのが、第2シードの確保です。世界最強の中国ペアと決勝まで絶対に当たらないようにするには、第2シードを確保するしかありません。第3、第4シードだと確率1/2で(ドローにより)中国ペアと準決勝で当たってしまいます。
第2シード獲得競争は最後の対象大会であるWTTスターコンテンダーバンコク2024までもつれました。はりひなペアが逆転でパリオリンピックの第2シードを獲るには、次の条件をクリアする必要がありました。
- はりひなペアが優勝する。
- 林鐘勳/申裕斌ペアがベスト4以下。(決勝に進出しない。)
その林鐘勳/申裕斌ペアが準々決勝で地元タイペアに負けたため、優勝すれば自力で第2シードを奪取できるようになりました。そして準決勝で台湾ペア、決勝で香港ペアに勝って優勝し、パリオリンピックの第2シードを手にしました。これにより王楚欽/孫穎莎ペアとは決勝まで当たりません。
団体戦
パリオリンピックの団体戦で優勝を狙うには、世界最強の中国チームと決勝まで絶対に当たらない、第2シードの確保が重要になります。第3シード以下だと、ドロー運で中国と同じ山に入ってしまい、準決勝までに対戦することになります。
現在シングルスの世界ランキング上位に早田ひな選手、伊藤美誠選手、張本美和選手、平野美宇選手がおり、誰でもいいから上位3名のWRポイントが評価される仕組みなので、期待値的には第2シードの確保は手堅いと言えます。
ついにオリンピックメダリストに
シングルスは左腕を怪我した状態で迎えた3位決定戦で、奇跡的に申裕斌選手に競り勝って銅メダルを獲得しました。団体戦はチーム全員で戦い決勝に進出しましたが、最強中国の壁は厚く準優勝で銀メダルでした。
早田ひな選手は幼い頃から目標にしていたオリンピックのコートで躍動し、金メダルには届かなかったもののオリンピックメダリストになりました。
混合ダブルス
はりひなペアは歴史的逆転で第2シードを得ていたため、決勝まで世界最強の王楚欽/孫穎莎ペアと当たらず、そしてドローにより強敵の林鐘勳/申裕斌ペアは反対の山に入りました。台湾ペアも反対の山に入ったため決勝まで行きやすいと思われていました。
ところが初戦で対戦した北朝鮮ペアが強くて負けてしまい、悔しい初戦敗退(ベスト16)でした。
シングルス
早田ひな選手は準々決勝で北朝鮮のピョン・ソンギョン選手とのフルゲームの激戦を制した際に左前腕を痛め、準決勝の孫穎莎戦は本来の力が出せないまま完敗しました。3位決定戦では試合開始5分前に打った注射が効いて左手の感覚を戻すことができ、申裕斌選手に勝って銅メダルを獲得しました。
早田ひな選手は試合後のインタビューで「私の中では金メダルより価値がある銅メダル」と話していました。
痛み止めの注射を打ち、左腕にテーピングをぐるぐる巻いた状態で強敵の申裕斌選手に競り勝てたのは奇跡でした。この3位決定戦は僕にとって生涯忘れることのできないものになりました。
団体戦
左腕の怪我が癒えない状態で臨んだ団体戦、怪我の治療でも試合でも仲間に助けられながら戦い抜くことができました。身体への負担が少ないダブルス起用に応えて「みうひなペア」で結果を出し決勝に進出しました。決勝の中国戦では「みわひなペア」でフルゲーム・デュースまで行きましたが勝たせてもらえず、チームは0-3で敗れて準優勝、銀メダルでした。
チームが目指していた金メダルには届きませんでしたが、素晴らしい銀メダルでした。
関連記事